幸せや嬉しさを誰かに伝えたい人に出会った時、一緒に喜べる人間でいたい
記事タイトルは、私の理想。現実は遠く及ばないので要努力orz
今朝、電車で日課のネット記事流し読みをしておりましたら、こんな記事を見つけまして。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1701/05/news037.html
普段はニュースとかについてブログではあーだこーだ言わないようにしているのですが、
(あーだこーだ言いたいようなニュースは山ほどあるけど 笑)
この記事はなんか妙に思うところがあって、
ちょっと自分の頭の中を整理しがてら文章にしてみようかなーと思います。
今から書くことは、あくまで「私だったらこう思うな、こうするかな」という、完全なる私見です。
異論は認める。が、誹謗中傷されたら小心者なので泣きます(笑)
もちろん、他の誰も批判しているわけではありません。
なので、「こういう意見もあるんだ、ふーん」って思っていただけたら幸いです。
という、豆腐メンタルがゆえの防御線を一応引いた上で、本題。
私も20代後半というお年頃、同級生は大半が結婚している。
Facebookにはプロフィール写真がウエディングドレスだったりカバー写真が新婚旅行だったり、
タイムラインは結婚式定期と言わんばかりに式と披露宴の写真が一定間隔で流れてくる。
さらに、結婚式とは話がずれるが子どもの成長日記だって入れ替わり立ち替わり毎日のように流れてくる。
正直、それが鬱陶しいと全く思わないと言えば嘘になる。
上記の記事のように、結婚式に至るまでの過程を逐一報告してくるような極端な人は幸いいないが、
それでもたまに、なんとも言えない気分になる。
それは、羨ましさであり、妬みであり、焦りであり。
つまるところ「自分が持っていないものを持っている人に対する劣等感」が
いろんな感情を伴ってぐるぐるしている感じ。
20代後半彼氏なしのフリー素材として生きている者としては、なかなかどーして切ない時もある。
ただ、落ち着いて考えると、単なる私の捉え方の問題な気もする。
投稿している人が「幸せをお裾分けしてあげる」「自慢したい」って、
投稿を見る私の側でヒネて捉えるからそう感じるのではないかと。
「嬉しいこと」や「喜んだこと」「幸せなこと」って、誰かに話したいと思った経験は私にもあるわけで。
例えば「スポーツ大会で優勝した」とか「福引で自転車が当たった」とか。
そこにはただ単純に「嬉しかったからただ聞いてほしい」という純粋な感情だけがあって。
その感情がオーバーしすぎて周りが見えなくなって、
後で振り返って「あーはっちゃけすぎたorz」と反省したこともしばしば。
ネットが発達する前は、嬉しさや幸せの共有ができるのは
ある程度関係が確立している相手に限られていたけど、
今はネットによって発信できる範囲が単純に広がっただけ。
あとこれは極論だけど、たとえもともとは同級生でも、
今現在が「ネットで繋がってるだけの関係性」でしかない人に
イライラするくらいなら、いっそつながりをバッサリ切ってしまうのも一つの手かもね。
「人脈は金」と言うし確かに至言だけれど、
私みたいなコミュ障には「金の人脈」は形成できずに
骨粗鬆症みたいなスカスカなつながりが大部分を占めてしまう。
もちろん、大切にしている人間関係もきちんとありますよ!自分の名誉のために言うけど!(笑)
いろいろグダグダ書いてみたけど、最後に残った私の想いは、これに尽きるかな。
同級生やら友人やらが喜んでいる姿に対して、「よかったね!」と言える人間でありたい。
あぁ、こんな時間までかけた割にはまたまとまりのない文章になってしまったorz
今週はなぜか土曜日も出勤なので、あと2日あるし…。
まとまりはないですが、私の心はスッキリしたので寝ます!おやすみなさい!!